西域をゆく/井上靖・司馬遼太郎(と過去旅行写真とただの物欲日記)
今日は美容院へ行ったのですがいつも供給されていたフィガロジャポンが供給されず、目の前に置かれたのは、家庭画報・ESSE・週刊女性自身・ローカル系情報誌(年齢的にチョイスは間違っていないと思う)だったので持参の文庫の読書がはかどりました。
……若干家庭画報は悩んだ。
いつもは何らか持参するもののモード系ファッション誌や男性向け情報誌が供給されるため、それらに目を通すのに忙しく結局持参の本は開かずに終わります。
これも格好つけて買ったものの対談を読むというのに慣れず行きつ戻りつで読めていなかった本です。てゆーかおまえは両氏の著作を真面目に読んだことがあるのかイヤないのにいきなりこの本を手にとったのはまあご推察のとおりです。
小説家という立場と豊富な知識経験から自由なトークが繰り出されているところが非常にたのしい一冊でしたが、当時としては「今の西域」について語っていてそれが今では既にファンタジーに近い世界になりつつある……と言う点では今読む「深夜特急」みたい。
のでちょっとみてみたら、沢木耕太郎がデリーからロンドンへのバス旅のために飛び立ちストップオーバーで香港へ立ち寄ったのが1977年で、井上靖・司馬遼太郎が日本作家代表団として日中交流の目的で訪中しているのが1975年と非常に近い時節の話だったのでした。
若者のバックパッカー旅と作家先生の大名旅行とそれはもうまったく毛色の異なる旅なのだけれど(テンションも違うし……と言うか比較するとむしろ後者のほうが情熱を感じすらするのがまた面白いw)、上手くいえないけれど根底になにか通じるものがあるなあと感じました。
それに当時はごくごく一部の招かれた人間しか中国(それもそんな奥地)には行けなかったわけで、当時としてはどんな体裁でもそこに行くだけで十分に冒険の域なのかなとも。
わたしなんかはタダとか格安とか格別の案内付きで普通は行くのが難しい場所につれてってくれるとか言われたなら例えそれまであまり興味のなかった場所でもどこにでものこのこ出ていくと思うんですが、稀に今までの旅行先について「なんでそこ行こうと思ったの?なかなかお金もらってもわざわざ行きたいと思わない」(別にバカにされているわけではないよ念の為)とか言われたことあるので、万人がやたらめったらなんか遠くに行くことに憧れているわけではないようだし(わたしはなんかナチュラルにみんな大小の差はあれどそうと言うか人間って本能的にそうなんじゃないかとすら思っていた節がある)、
よく分からんところにわざわざ行くというのはそれだけで冒険
なのではと最近思ったりします。だからどんな旅にも何か共通するものがあるのかなと。
しかし、1975年(約50年前)を昔と思うかちょっと前と思うかで違うと思うんだけれども、当時生まれていなかったわたしですが「そんなに昔じゃない」と思ったりするので、今の特に西域の状況を鑑みると、ある程度自由に外国人が出入りできある程度は自由な当地の様子を垣間見ることができたのはごくごくわずかな期間だったことになってしまうのだなあと思いました。(ロシアなんかにも思いますけれども。どうなるんやろロシア……。)
ご多分に漏れず「西域」には強い憧れがあり行きたいなあと思いつつ、西安までしか行けずにこんな状況になってしまい、コロナを抜きにしても今行く西域ってどうなん?イヤそれでも行かんよりは行ったほうが……?とかいろいろな想いがモヤモヤしています。
今までに行ったひとどう思う?????
繰り返し出てくるお話で「唐代の中国人が西域に抱いた憧れが万葉の日本に輸入されてその憧れが現代まで日本人の中に根強く息づいている」と言うのがすごい印象に残ったし首モゲでした。75年当時の中国人にとっては辺境とか田舎とか国境の係争地というイメージだったらしいけれど、当時も今も旅行好きでもないし行けるとも思ってないけど「シルクロード」ときくとロマン……ってなる日本人多いと思う。大昔の中国のひとが抱いたロマンをなぜかほとんどそのままに異国の土地の人間が抱き続けるってなんか面白い。
NHKと喜多郎の影響もあると思うけど。(と言いつつ自分はちゃんと見たことないけども。)
と言うかあの番組自体、広く社内に番組のアイデアを募った際に制作系ではない一般職員から出た「今のシルクロードがどうなっているか見ていたい」みたいなご意見から制作に至ったとわたしはきいているので、唐代に輸入されて時代を超えて日本人の心に刻まれたロマンが長い年月を経て一般人からポロッと出てきてああなったんじゃないでしょうか。
学生時代にNHKの会社説明会に参加して今まで持ちネタになっている話題のひとつに深みが出たのでした。
しかし遺跡好きとしてはホータンの城址を前にした時の話や、莫高窟とかベゼクリク千仏洞とかアスタナ古墳群とか……
行きてええええええ!
素直に普通にうらやましいです。やっぱどうでも一回は行かなきゃだな〜。
ところでみなさん「西域」なんて読んでますか?
わたしはダントツの「さいいき」だったのですが、著者の両氏は「せいいき」らしいので、この本は「せいいきをゆく」です。
なんか思った以上に字を書いたので、まだ西安旅行の写真貼っときます。
初めて行ったインドがカシミールとか初めてまともに行った中国が西安とか、それはどうなんだと自分でもちょっと思うところはあるんですけど、まあ行きたいところにゆくのです。
と言うワケできれいになりながら教養も見についてよいいちにちでした。
もうここ何年もインナーカラー。伸びてもプリンにならないから油断すると半年1回とかしか美容院に行かないわたしにもできるカラー。今回の仕上がり割と歴代の中でもお気に入り。
前は軽く脱色してマニキュアで色入れてもらってたんです。が!
もともと色落ちしやすいマニキュア、温泉で更にありえないくらい色落ちが加速!
ので、コロナ以降国内旅行が増えたためあまりマニキュア入れていない……あまりにも儚い。
そんでね!ついでにデパートでおGUCCIさまに行ってきたんですよ!
何を唐突にって感じですけど、ここ数日twitterで呪いのようにライオンリングライオンリグ言うてたと思うんですけどそれです。
とりあえず現物を見てみようじゃない?って言う。
こんなやつ〜!もともとGUCCIのライオンとか生き物系可愛いというのは前々から非常に思ってたんですけど、ファインジュエリーのほうしか知らなかったんですよ。
かわいいっしょ〜?お値段はすごくかわいくないぞ〜?
でもファッションジュエリーのほうはがんばったら買える値段だったので買えるお値段ということは買ってもいいかもしれないということであり買ってもいいです!?イヤすごい欲しい?買ってもいいお値段だけどちょっと欲しいなで買うお値段ではないですわよすごい欲しいですか?とか自問自答していたらすごい欲しくなってきてしまった完全にいかん。
と言うことですがサイズとかいろいろ吟味しないといけないものでもあり、賞与無双タイムも終了し今買ってはいかんやろと言う時期に敢えて突入!
昔ビビリ倒した百貨店のハイブラゾーン(急に通路に絨毯とか敷いてある)は今行くとややその絨毯にも色褪せが見え、年齢なりの度胸もありなんとか入店できました。
一回素通りしたけど
入り口にたまたま別のお客さまを送り出した後か何かで店員さんがいてにっこりされたので、にっこり返してそのまま素通りしました。(なんで)
GUCCI場所変わってる気がする前は今BOTTEGA VENETAいるエスカレーター正面の一番いい場所にあった気がするだってそもそもそのへん全面の絨毯の色がGUCCIカラーなんだもの。知らん間にジミー・チュウもできてるしルイ・ヴィトンは一階路面から二階にフロアぶち抜いてるし松山でそんなに売れるんやろか……。(地元民にしか分からん話するなよ。)
結果、松山店にはシルバージュエリーしかなかったのですが、GUCCIサイズ表記が日本サイズと違うらしいので、サイズ感の分かる商品を試着させていただき参考になりました。
中指だとごつめリングなら16号(日本サイズだと15号ちょいと言うことになるらしい)でいい感じ、ライオンリングはXS~XLと言う変な表記なのですが、16号=Mサイズらしいす。
プレゼントしたいひとはいつでも連絡ください。
でもGUCCIの価格帯的にファッションジュエリーってバックとか常時買うひとが「あっこれもカワイ〜!ついでに買おっかな」みたいな設定なので、それのみを買う(かもしれないし買わないかもしれない)庶民にもやさしくしてくれてよかったです。
泣かされて帰る羽目になったらどうしようかと思った。